「こころ」のエリクソンの発達段階「初期青年期」20歳から39歳 親密性VS孤立 NO.4 逆子の分娩

こころの生きてきた道を、エリクソンの発達段階に照らし合わせながら、元看護師の思い出話です。なぜこれをブログにしようかと思ったのか?人の過去なんて興味ないですよね。

私「こころ」が、潰れた心と体のリハビリになるのです。うれしかったこと、つらかったこと、良いこと、悪いこと全部ぶちまけてしまうことで、前に進むことができるから。55年間の私歴史なのでこのシリーズは、今悩んでいる人達へのヒントになるメッセージになればうれしいです。

NO.1で20歳の妊娠まで、NO.2で20歳の花嫁のお話、NO.3で切迫早産入院のお話をしました。良ければそちらもご覧ください。

逆子の出産

今日は、逆子の出産につての、お話です。

私は妊娠7か月から切迫入院をしていたので、37週2日目に帝王切開術での予定分娩を計画していました。

しかし、37週0日目の夜中に強烈な便意と腹痛で目が覚め、ナースコールを押しました。

看護師さん「トイレ行こうか?もう動いても良いし、歩けなかったら車椅子で行こう」

久しぶりのトイレで、しっきり出すものを出して一度は病室のベッドへ戻りました。

それから、数分後、また腹痛と便意、これ陣痛?????

3から5分おきに腹痛と便意が来ました。3回ほど我慢して、ナースコール

看護師さん「そんなに点滴やめてすぐに生まれないよ!でもそんなに痛いなら、他の人眠れないから陣痛予備室で様子見ようか?」

部長指導

他の人眠れないから て、一言多いよ!(# ゚Д゚)

我慢して、不安と痛みに耐えきれなくなって、ナースコール押してるのに。

私、産婦人科に努めていたころなのでこれが陣痛かどうか位わかっているつもり、まして逆子で、先に破水してしまうと超難産、胎児も危険な状態になります。

私「陣痛予備室でお願いします。」

看護師さん「じゃーこっちまで歩いて来て」あー優しくもない、痛いの私は(# ゚Д゚)部屋にも見に来ず、コール越しに言われまっした。

現役看護師さんにお願いです。必ず患者さんのところへ行ってあげてください。そこでどんな事が起きてるのかは行かなければわかりません。おじいちゃんや、重症患者だったら、それが最後のコールになることもありますよ。

え?歩けとですか?とは、思いましたが、歩いて6~7メートルなので、痛みのない時に、そろりそろりと歩き始めた途端、グンとお腹の中身が下がったような感じを受け、廊下で立ちすくんでしまいました。すぐに当直の助産師さんが見つけてくれて、車いすで陣痛予備室へ運ばれました。

助産師さん「一応内診してみるね」「わ~お産始まってる、ほぼ全開、赤ちゃんの足が触れるとこまで来てるは、すぐ先生呼ぶからね。緊急帝王切開になるから剃毛(毛ぞり、女の子の大事なところと、お腹背中まで)するからね。きばらないでね」

そんなの無理ですよ。1から2分おきに陣痛来てて、きばるなと言われてもですね力入りますよ。でも何とか我慢して、剃毛の前が終わり背中を剃毛するために横を向いた瞬間に股の間から生暖かい水が、そう破水してしまいました。

助産師さんオロオロ

先生まさに寝てましたの頭ぼさぼさで、主治医とは違う先生登場。不安しかない( ノД`)シクシク…

先生と助産師さんが何だかんだ話していた。多分帝王切開予定の妊婦の経過報告でしょうけど、そんなに待てませんよもう出そうなんですけど

なぜだか冷静に、このまま帝王切開の準備まで待てない、経腟分娩だと覚悟を決めた私。

先生は診察するなり「手術の準備は間に合わないこのまま分娩するよ」そうですよねー。

すぐに分娩台に上がると横で助産師さんが先生に「私逆子の分娩見たことないんです」

部長指導2

?????????????

ハーーーーーーーーーーー

「私逆子の分娩見たことないんです」て、医療受持者側の不安は患者の前でだすなー(# ゚Д゚)

せめて患者に聞こえないように言ってよね。こっちは、お産も初めて(人のは見てきましたから、これからかなり大変なことになるのを覚悟しているのに。

先生「このままお産にするよ。1.2の3で、次きばりたくなったら、思いっきいっていいよ!」

私「ハイ、来ました1.2の3う~んスコ」股の間で両足とオチ○チンが見えました。

最悪です、本来肩まで出ていれば回転させながら頭も出せえるのですが、肘や肩がひっかかって出ない場合は、へその緒が絡んでどんだけ頑張っても下から出ず、死産になるケースもあるのです。

先生「両側会陰切開、どこからでもいいから医師と小児科医、集めて!直ぐに!」

私、半分出たからか?痛みを感じることなく、股の間で段々子供の色が紫色になっていくのをボート見てました。どれくらい時間がたったのかわかりませんが。

主治医の先生が到着、小児科の先生やNICUの看護師さんも集合。朝の5時ごろだったと思います。みんな呼び出されたのね、ありがとうです。

先生「お母さん、もう力抜いてて、僕たちで引っ張り出しますから、酸素してて、大きく深呼吸ね」

私、言われるままに深呼吸、どこから来たのか別の医師が私にお尻を向けて馬乗りに、次の瞬間、私のおまたに先生の手がぐにゅ、お腹の上にいた先生が思いっきりお腹をおまたの方に押した。そこで私の意識は消えた。気絶というものを経験した。

次に目を覚ました時には、周りはシーン「赤ちゃんは?」見えるところには居てないし、鳴き声もない、沢山いた小児科のスタッフもいない、どれくらいの間意識が無かったのかわからないけど、先生が、私の裂けたおまたと子宮口を、縫い合わせている途中のようで麻酔がかかっているので痛みもなかった。

輸血もつるされてるに、沢山いた小児科チームは誰もいない。私の赤ちゃんは???????

機械の音がする中で先生が「男の子だったよ、2970g、へその緒が絡まっていて、仮死分娩だったからNICUに入ってる呼吸器付けてるから安定するまで会えないけど、大丈夫だと思いから、お母さんの傷が大きいから2日間は、安静ね」

私「生きてるんだ、ダメかと思った」ダメだったケースを見たこともあったので、ほっとしたのと母になれたことの喜びで涙が止まらなかっいた。

何とか長男誕生、私の処置が終わったら看護師さんが旦那さんを分娩室に入れてくれました。

旦那さん「俺もガラス越しにちょっとしか見てないねん、でも先生大丈夫だて言ってくれたから、名前早く決めて保険証作れていわれたけど、どうする?」何をどうする?旦那さん勝手なことするけど、決めきれない人でした。

早く名前を決めて、保険証を作って、乳児医療の手続きをしなければいけなかったのです。

私たちお腹の子は女の子と聞かされていたので、男の子の名前考えてなくて、「○○て呼びたい」愛称だけを決めて、旦那さんの名前を決めてくれた地元では大きな神社に行ってくれました。

多分7時ごろ病院から駆け出して行った旦那さん。

後から聞いた話、旦那さん神社で叫びまくって宮司さんを探したみたい。普通に命名する時間じゃないもんね。頑張ったね旦那さん、名前をもらって、市役所に行って子供の出生届と保険証を作ってお昼前に戻ってきました。

午後2時から5分だけ赤ちゃんを見に行けると看護師さんが呼びに来てくれたけど、私は安静中で旦那さんだけNICUガラスの越し面会。

私かなり拗ねてました。私オチ○ンしか見てないのに( ノД`)シクシク…

普通分娩で母子共に問題なければ、赤ちゃんはお母さんに抱かれてます。

産声を聞けなかったので、またまた不安。赤ちゃんを見てきた旦那さん「口にストローみたいなん絆創膏で付けられてたけど、くねくね動いとった。念のため今日は管で呼吸を助けるけど、多分問題ないて」と、のんきな旦那さん

私の頭の中は、看護師なので、仮死分娩のリスクがドンドン頭に浮かんで、低酸素脳症や脳性麻痺、「私の産み方が悪かったから子供に障害が残ったらどうしよう」( ノД`)シクシク…

私の2日間の安静が終わったタイミングで、○○君新生児室に移動。やっと胸に抱きしめたときの感動は今でも鮮明に覚えてますね。

両方の親から反対された、でき婚。今だから言いますけどお姑さん切迫早産で入院中見舞いに来て「そんな体の弱い子は育たないんじゃない?病気のある子は困るは」3か月入院して2回しか来てないのにこのお言葉「○○君(旦那さん)が苦労するは」はーそうですか。て感じ。

が、なんと赤ちゃんが男の子で旦那さんにうりふたつなのを見て、「跡取りができたは」手のひら返しとはこのことだ。

ちょっと長くなりすぎましたね。切るタイミングわからなくて、自分の幸せ思い出に浸りすぎました。

次は赤ちゃんと大きな赤ちゃんのお話をします。

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